HIDAジャーナル 2013 SPRING
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3HIDAジャーナル No. 2 ● SPRING 2013込む中、医療用光源事業が成長を続けていたことから、「景気に左右されない事業拡大」を安定経営実現に向けた重要戦略と位置付け、具体的な施策を講じることとなりました。そこで当社が着目したのは医療用、飛行場用ハロゲンランプの世界市場参入です。しかしながら、海外の飛行場照明の規格は日本と違うため、当社にとっては新規参入市場になります。よって価格競争力をつけないことには他社と戦えないと考え、2010年末に海外進出を決断したのです。ところが、この海外展開プロジェクトは計画初期の段階で東日本大震災という思わぬ事態により減速を余儀なくされることとなりました。当社は北上川の河岸に位置していますが、河口から15キロほど離れている上、高台に建てられていることもあり、幸い工場建屋や生産設備に甚大な被害はありませんでした。とはいえ、震災直後は電気や水などのインフラ関係は寸断されてしまいましたので、工場は稼働できませんでした。一方、従業員の中には自宅や車などが壊れたり津波で流されたりした人が多くいましたので、微力ではあったと思いますが、従業員への対応にまず取り組みました。通信手段が全く使えない中、最初はただ従業員が出勤するのを待つことしかできませんでしたが、自宅や避難場所に足を運ぶなどの対応を数日間続け、全員の安否を確認することができました。その後、多くの取引先企業から生活に必要な物資などをいただき、被災した従業員に提供することができました。震災直後は余震が頻発し、誰もが精神的に不安を抱える中、このような物資や心温まるメッセージなどを通じた皆様からの力強い応援は、従業員にとっても復興への大きな励みになりました。改めて御礼申し上げます。また、従業員が大変な生活を強いられる中、一生懸命出勤してくれたことにも本当に感謝しています。こうした皆様からの支援と従業員の頑張りのおかげで、工場については何とか2カ月ほどで震災以前の生産体制に復旧することができました。そして、2011年5月頃から海外進出に向けたプロジェクトを本格的に再開させ、最終的にベトナムに進出することにしました。ベトナムに決めた理由は何と言ってもベトナム人の真面目さ、勤勉さでした。既にベトナムに進出している企業の現場を拝見させていただいた際、日本人とベトナム人のやり取りや作業している様子を見て、彼らとなら一緒に良い仕事ができるのではないか、という想いを抱いたのです。現在、ホーチミン市近郊のビンズオン省・ドンアン第2工業団地において2013年4月の稼働を目指して工場建設を進めています。ここでは、当面日本での生産の一部を移管する形を取る予定ですが、あくまで日本の本社における技術をベースに、コスト優位性を活かして、海外の医療、飛行場照明市場に挑戦していくつもりです。従って、日本での製造を縮小して海外移管するのではなく、日本も海外も共に成長することを考えています。そして、ベトナム工場における生産体制が安定した後には工程拡大、品目拡大も計画しており、数年後には経営の現地化を図っていこうと考えています。また、現在幹部候補のレ・バ・ミン・ドゥックさんを日本に呼んで研修しています。ドゥックさんには、製造やメンテナンスの技術を習得し、これらをオペレーターに教えられるようになってもらうつもりですので、工場の立ち上げ期だけでなく、その後の工程・品目の拡大期における中心人物としても活躍してもらいたいと期待しています。ところで、ドゥックさんがこちらに来て間もなく2カ月が経ちます。当初、この工場で海外の人を快く受け入れて研修を進めることができるか不安でしたが、実際来てみると従業員は非常によく面倒を見てくれていて、公私に渡って温かく接してくれています。そんな姿を見て、当社にも異文化を受容する風土があったのだという新しい発見がありました。それからHIDAにも感謝しています。研修制度を申し込むにあたっては、担当の方に当地に足を運んでいただき、制度の内容や受入体制のアドバイスをいただきました。そして、ドゥックさんがHIDA中部研修センターでの6週間の一般研修を終えて石巻に来た時には、来日した時には全く日本語がわからなかった彼が短期間でここまで習得するものなのかと驚きました。現在、工場での研修における指導員とのコミュニケーションにおいても大変役立っています。ドゥックさんの研修はまだ9カ月余り残っています。これから研修内容も徐々に難しくなっていきますが、研修で得た技術と知識を持ち帰って、工場の立ち上げ期および拡大期の中心人物として頑張ってもらいたいと思っています。研修現場でのドゥックさん当社の製品

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